原爆ドームは、広島県物産陳列館として、大正4年建設に建設されました。設計は、チェコ出身の建築家「ヤンレツル」です。
地下1階、地上3階(一部5階)建ての西洋風のモダンな建物で、県下の物産の陳列、販売のほか、博物館、美術館としての役割も担っていたようです。
その後、広島県商品陳列所、広島県産業奨励館と改称しましたが、1944年(昭和19年)その業務を廃止し、中四国土木出張所や広島地方木材・日本木材広島支社など政府の統制会社の事務所として使用されていました。
原爆の投下により。建物は一瞬にして大破し、天井から火をふいて全焼し中にいた30人あまりの人々は全員が死亡されました。
爆風が、殆ど真上から働いたため壁の一部は倒壊をまぬがれ、ドームの鉄枠とともに無残な姿をさらけました。
そして、その形から誰からともなく原爆ドームという呼び方がされるようになりました。
ドームの保存については、「原爆による惨禍の証人として保存する。」という意見と「被爆の惨事を思い出したくない。」という意見が対立しましたが、1996年(昭和41年)に永久保存がきまり、広く募金をよびかけこれまでに三度の保存工事が行われました。
人類史上最初の原子爆弾による惨禍の証人として、また、核兵器廃絶と恒久平和を求める誓いのシンボルとして1996年(平成18年12月)ユネスコの世界遺産の一覧に登録されました。