三瀧寺(みたきでら)は、三滝山の中腹にある高野山真言宗のお寺です。806(大同元)年唐から帰った弘法大師がこの地を霊地と定め、梵字一字を石に刻み岩の中に安置したのが三瀧観音堂だと伝えられています。
観音本堂の建立年代は不明、銀山城主武田刑部大輔源信守(鎌倉の人)が本堂を修築した記録が残っています。江戸時代には龍泉寺とも称していたそうです。その後、明治初年、明禅僧正によって方形瓦葺に改築されましたが、大正年間に再三水害に見舞われ、また、1945(昭和20)年8月6日原爆爆風により屋根や建具など破損、建物は半壊しましたが応急修理でしのいでいたそうです。
1968(昭和43)年に浅野清博士設計監督により檜造、寄棟瓦葺で再建されました。
三滝観音は中国三十三観音の第十三番札所でもあり、桜や紅葉の名所でもあります。
◎木造地蔵菩薩坐像(国:重要美術品)安置
本堂に安置されているこの像は、昭和55年、三滝寺と縁故の深い田万明子夫人から、戦没学徒慰霊のために寄進されたもので、平安末期から鎌倉初期の作と考えられる一木造りの像です。
この像の特徴は、左足を前に投げ出してあぐらをかかれているリラックスしたお姿にあるそうです。
このような作例は他に1,2体存在するだけの非常に珍しいもので、静謐柔和な面相との間に不思議な調和を見せているそうです。
◎木造阿弥陀如来像(市:重要文化財)安置
室町時代の端正典雅な像で、本堂に安置されています。 |