1945年8月6日世界で最初に被爆した広島の地に平和のシンボルとして献堂されたカトリック教会です。

被爆時は「幟町天主公教会」と呼ばれ、爆心地より1.2キロ。当時の聖堂は倒壊、倒壊を免れた司祭館も延焼により焼失、全ては灰塵に帰しました。司祭館の中にいたラサール神父等は、重傷を負いながらも何とか脱出しましたが、25人の信者が犠牲になったといいます。

聖堂の建設は、の原子爆弾の惨禍に身をもって体験された、当時の広島カトリック幟町教会主任司祭フーゴー・ラッサール神父が、原子爆弾の犠牲となられた人々の追憶と慰霊のため、また全世界の友情と平和のシンボルとして発案されました。これに応えてカトリック信者を始め、世界各地の真に恒久平和を願う人々の発願と多大な寄付により、195086日に着工され、5年の歳月を重ねて195486日に完成、献堂され「世界平和記念聖堂」と命名されました。

設計は当時のデザイン設計の第一人者であった村野藤吾氏が担当し、聖堂入口の7つの秘跡を表した彫刻は円鍔勝三氏の作品です。

1983年に大がかりな補修工事がなされています。

なお、全て灰塵に帰した元の教会の門柱(写真右)が、現在残っています。

 また、棟内にはドイツから贈られた兵器をうち直し作成されたと言われている「平和の鐘」が四つあり、一日三度世界の平和を祈って鳴らされております。

建物は、平成18年(2006年)7月5日国の重要文化財に指定されました。