広島の中心部に位置する標高71.1mの比治山は、頼山陽が虎の臥す姿に似ているのを見て、臥虎山ともいわれたそうです。

園内には、頼山陽文徳殿・多聞院・旧陸軍墓地・御便殿跡・放射線影響研究所等があり、春の桜と共に古くから市民の憩の場所として親しまれています。最近は、芸術公園として整備が行なわれており、広島市現代美術館、広島市まんが図書館、展望台や散策路などをとりまく緑と彫刻はアーティスティックな感性を発揮し、独自の雰囲気があります。 “鶯の口の先なり三万戸”という正岡子規の句碑のある展望台からは市街を眼下に安芸の小富士、似島や江田島、宮島も遠く展望できます。又、夜景の素晴らしさも格別です。

 
  御便殿跡
1894(明治27)年日清戦争時(基町の)広島城内にあった第五師団司令部の建物が明治天皇の行在所とされ大本営が設置され、御便殿も併設されていたものを1909(明治42)年比治山公園のこの地に移したそうです。
1945(昭和20)年8月6日原爆の被害にあい現在は建物はなく、広場として整備されています。

 
   
 
陸軍墓地
 

太平洋戦争までは、沖縄を除く、全国46都道府県・4505名の墓が一基一基整然と建立されていました。

現在ある3,533の墓石の内およそ6割は日清戦争の時のもの、残りは北清事変(義和団事件)、日露戦争時のものなどです。

昭和50年5月から“岩田 日出子”氏等が中心となり『軍人墓地と遺骨』を掘りあげ、掘り出した墓石を洗い、修理、文字に墨入れをし、ヒナ段に並べ、遺骨は数箇所に分けて納骨する等、墓地の整理をされ今日の姿となっています。